画材という材料(道具)を売る立場になって約40年。時に嘆き、怒り、喜び、納得などの連続でした。画材というのは奥深い分野であり、この『画材屋の独り言』はまだ不充分な経験ながら、その奥深さの一端をお伝えするものです。特に目次などなく、思いつきであり大系的でもない、画材屋の独り言ですが、「描く楽しみ」の一助になれば幸いです。
画筆の概講から入っていきます。
画筆の分野では用途別として?油彩画?水彩画、アクリル画?ホビークラフト、デザイン用?その他、トールペイント、陶絵付、ステンドグラスの絵付、皮革工芸、染色、レタリング、カリグラフィー用があり、他の分野では歯科技工士用、ネイルアート用、メイクアップ用、学童用などがあり、刷毛類もあります。
どの分野でも使う人にとって向き不向き、好き嫌いがあり、要するに「弘法筆を択ぶ」ということではないでしょうか。時間とお金をかけて習得し、指先まで来ているイメージを画面に思うように伝えるのが筆であり、作者の手先なのです。毛質、形、サイズを考えるとかなりの種類がありますので、ご自分の作風にあった筆選びをして下さい。
必ずしも高価な筆が万人に理想とも言い難いですし、逆に著名な作家が最も安い筆ばかりを使い込んでいる場合もあります。よって、小説家の永年愛用している万年筆のような存在であるべきと思います。
ここでは油彩画、水彩画の描画用に限り 原毛の種類と特性 穂先の形 サイズ 必要な本数の言及に止めます。
原毛の種類と特性
[油彩画用]―ブタ毛(中国)、コリンスキー・赤テン(中国・ロシア)、マングース(南アフリカ)、牛耳毛(南米)、ナイロン(日本他、数国)
[水彩画用]―コリンスキー・赤テン・リス(中国・ロシア・カナダ)、マングース(南アフリカ)
油彩画では描き始めに重い油絵の具をキャンバスに直接塗りますので、丈夫で安いブタ毛を使い、後に中硬毛、仕上げに軟毛と変えるのが理想です。ブタ毛だけ枝毛になってモサモサした状態の穂先を形成してますので含みが良くなって描き始めに適しています。後に油絵具の使用量が少なくなるのが普通です。
水彩画ではベタ塗りの多い油彩画に比べ素早くぼかしたり、長い線描をすることが多いため含みと腰が大切になります。含みの差は毛質と毛量(口金のサイズ×毛丈)の違いにあります。
絵具の含み
水彩筆の絵具の含みと腰について説明します。
ほとんどの天然毛の特徴は先細で中央部がふくらみ、それが含みの良さを助長し、毛細管現象を保持し、一定の絵具ばなれの良さにつながります。天然毛の表面は人毛のキューティクルに似たウロコ状を成しており、その効果を確かにしています。(
?〜?参照)
?のナイロン(合成繊維)の表面にはウロコ状は認められず、ツルツルして絵具の含みが少なく流れ出し易い(但し丸善美術のインターロン水彩筆には東レのナイロン毛を使用していて太さが違う三種類の毛の他に上記の効果を持つ特殊加工した繊維が入っていて含みをよくしており、その上、穂先の先端を白く染色し絵具の量が識別し易くしてある)ですが、天然毛に比べ摩耗しにくいという特性があります。
油彩筆のブタ毛は太い所で直径0.3ミリ位ですが、コリンスキー、赤テン、リス毛はその10分の1位しかなく同じサイズの口金には何倍もの本数が入り含みをよくしているのが特徴です。ナイロン毛にも0.1、0.07、0.05ミリの3種類の太さがあり表面の状態に差があるので含みに違いが出てきます。
腰(弾力)
天然毛の毛質とその毛丈(口金からの外寸)によって異なってきます。更に穂先の幅、厚み=毛量にも依ります。
短穂又は厚みのある穂先は腰があり、描いていて穂先の形状が変わりにくく長穂はよりしなやかさが出ますが長くなるほど腰がなくなりその分含みはよくなります。(釣竿に似ている)
筆の種類、形状などは後ほど出てきます、穂先の形の項目の写真を参照して下さい。
図
?と?を参照してください。
この実験は毛質による含みの差を示しています。水に浸すとリス毛は水を含み約2倍の体積に膨張します。赤テンはナイロンがほとんど変わらないのと比べて著しく拡大しています。その他の特徴としてリスは含みが抜群に良いが腰が弱く、コリンスキー、赤テンは、ほぼ含みは良い上に腰があり先が尖るという三拍子揃う毛質なので最も高価なのです。一方、ナイロンは含みだけ劣りますが強靭で安価です。
[簡単な実験]
(1)水彩筆の違いを見分けるのに穂先を水に浸し筆を振ってみるとコリンスキー、赤テンはすぐに穂先が尖りますがリス、ヤギなどは曲がったままでその差がすぐ判ります。
コリンスキー、赤テンは画面から離した時、描き始めと同じ形にもどり、すぐ次を描く作業に移れます。
(2)乾いた穂先を耳元で指で弾いてみるとコリンスキー、赤テンはいかにも反発力のある音がしますが、リス、ヤギ等はほとんど聞こえず、かすかにバサッと柔らかい音がします。
毛質を大別すると硬毛(ブタのみ)と軟毛に分かれ、中間に中硬毛(マングースや牛耳毛など)があります。
穂先の形
サイズ
筆のサイズには鉛筆のJIS(日本工業規格)のような定めがなく各メーカーによっても異なります。国産品、外国産品共に概ねにして油彩筆は偶数サイズが多く水彩筆は1,2,3と奇数のサイズも含まれるのが普通です。
1以下に0、2/0〜6/0もあります。よって油彩筆の10号と水彩筆の10号ではサイズが異なり、更にメーカーによっては穂先の長さも変わりますので現物で確認して下さい。
必要な本数
極端に言えば1本でも描けないことはないのですが多くの不都合が生じます。
水彩筆は個人差がありますが、概ねにして細描が多いので良質な丸筆を少数本持ち好みで、オーバル、平があるとよいでしょう。水彩画の場合、支持体が紙であることが多いので、キャンパス地より摩耗が少なく、多少無理をしてもよい筆を少なく求める方が賢明です。
良い水彩筆は先が効くので大は小を兼ねます。
油彩筆は本数が少ないとほかの色を使うのに今の油絵具を洗い落とすことになり油絵具を捨てなくてはなりません。その上、筆洗油の汚濁を早め、共に無駄が多くなるため、数本は常時使用した方が良いと思います。複数本の筆を握っても筆の持つところが太くなっているので、その下を持てば互いに筆の穂先の色が混ざることはありません。
<追記>
時に動物愛好家の方々の尋問を受けることがあります。質問は動物の殺生、始末に関することです。筆に使う原毛は副産物として利用されて、多分野で貢献しています。筆を造るためだけに殺生している訳ではありません。
例えばブタ、ヤギ、牛は食肉を主母的としブタは背筋の毛を、ヤギはほぼ全身から、牛は耳の毛だけを使います。それぞれの皮革は革製品になります。またリスなど自然界に生息している動物は放置しておくと樹木の芽や幹を食し山林に被害を及ぼし、最悪の場合自然破壊や災害を起こす原因になるため、各国の関係省庁が生態系を守りながら一定の数を決め、環境保護を目的として必要に応じた間引きをしています。その二次産物を使い筆を造っています。概してリスなどの小動物のことを問われますが、みなさんもブタ肉や牛肉を食べている筈です。大型動物は食肉を提供し我々の命を永らえさせてくれ、その毛は副産物として、筆に形を変えて芸術文化に寄与しております。そのようにして出来た筆をもっと大切に使ってゆくべきです。
平成20年5月1日
画材倉庫にて
画材屋の独り言
※水彩堂では下記の方に『画材屋の独り言』を寄稿していただきました。
小林 善安
株式会社 丸善美術商事 代表取締役
フランス ラファエル社・ドイツ シュミンケ社日本輸入総代理店